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「……愉快な格好だな」
無様に地に伏し、全身を傷だらけにして呻く、護能省(ごのうしょう)東京第七支部局の前衛部隊隊員たちを見下ろして、“滅神(めっしん)”の名を持つそれは淡々と言った。
黒一色のバトルスーツに、腰には年代物と思しき日本刀。
長さの均一でない、まだらな茶色の髪が、風に煽られてはためいている。
「す、好きでこんなカッコ、してんじゃねぇや……ッ」
息絶え絶えといった風情で、第七支部局第一部隊の長であり“滅神”霧闇(きりやみ)の直属の配下でもある探湯千葉(くかたち・ちよ)が呻くと、
「好きでしているのなら、もっと手伝ってやろうかと思ったが」
やはり淡々と、本気なのか冗談なのか判別のつけにくい声で霧闇は言い、それから、眼差しの鋭さに反するやわらかい光沢を宿した煙水晶色の目で前方を見遣った。
ふむ、という呟きが漏れる。
「妖魔か。感じ取りにくい雰囲気だったが……なりそこないというよりは、特殊なタイプのようだな」
霧闇の視線の先には、全長五メートルばかりの大男の姿がある。
どこかバランスのいびつな隆々たる体躯に、無残にひび割れた皮膚、そして生きとし生けるものへの嘲笑と憎悪を詰め込んだかのような目をした、禿頭の男だった。
場所は渋谷区の一角、小洒落た路上カフェ。
大男はそこで、無心に『食事』をしていた。
「……大喰らいだな。私が来るまでに、何人喰った?」
霧闇の目がすっと細められる。
千葉は身動きもままならないほどにダメージを受けた身体の上半身をどうにかこうにか起こし、拳を握り締め唇を噛み締めた。
目の前に広がる惨状に、無力感が広がる。
ぼりぼり、ばりばり、ごりごり。
ぐちゃぐちゃ、びちゃびちゃ、ずるずる。
骨の砕ける音と、肉を噛み血を啜る、生々しくおぞましい音とが聴こえて来る。
大男は、今、明らかに人間の、女性のものと思われる脚の、太腿の付け根辺りにかぶりつき、顔を血だらけにしながらそれを咀嚼していた。
「喰われたのは、全部で、六人。全員女の人で、」
そこまで言って、悲劇を思い出し、千葉は俯く。
「どうした、カボチャ頭。何か躊躇するようなことでもあったか」
「カボチャ頭じゃないっつの。……いや、その、彼女ら、ふたりずつのペアだったらしいんだ」
「ほう」
「全員、母親と、娘。今日……母の日だから、って一緒にここに来て、それで」
「あれに喰われた、か。不運だな」
通報を受けて駆けつけた千葉たちが見た段階では、喰われていたのは最初の母娘ふたりだった。
逃げ遅れた残り二組、どうにかしてお互いを逃がそうとしている、さぞかし平素から仲のよい親子なのだろうと思われる四人を救出しようと能力者たちは大男に挑み、そして、
「まぁ、相手が妖魔ではな。お前たちごときではどうしようもあるまい」
「ご、ごときって……!」
「否定できる要素があるか?」
「うう、あ、ありません……」
邪魔をするな、という一喝とともに、完膚なきまでに打ち倒された。
相手が妖魔だという判断がつかなかったことも大きな原因だった。
そもそも、『界の怨敵』妖魔という存在は、最下級のモノであっても容易く小さな集落を灰に変えてみせる、青の始祖界にせよ、他階層の異界にせよ、生きとし生けるもの全体の大敵だ。
それは、千葉たちのような、地元の平和を守る下っ端能力者にはどうにも出来ない存在である場合がほとんどで、今回も例に漏れず、かすり傷ひとつ負わせることが出来ずに今に至る。
妖魔の出現率が上昇し、それに伴って妖獣や他のモンスターが湧きやすくなっている昨今、『空』は大忙しで、造園も期待できないまま時間は流れ、結果、六人の命が喪われた。
母を、娘を、自身を喰われる恐怖と絶望に上がる絶叫が、耳の奥にまだこびりついている。
「……助けられなかった」
守るべき市民を守れず、救うべき命を救えず、千葉は肉体以上に精神を打ちのめされ、唇を噛んでその光景を見つめている。
それを、
「……もう少し、早く来てやれればよかったんだが」
霧闇の白い面が千葉を見下ろし、
「生憎、メンテナンスが済んでいなくてな。ようやく『接続』されたのがつい一時間前だ」
小さな溜め息と同時に、腰の日本刀が引き抜かれる。
千葉は呻きながら身体を起こし、何とか立ち上がった。
「転がっていても構わんが。見たところ、十箇所は折れているだろう」
「あー、うん、なんかスゲー痛い。でも」
自分がまだ動けることを確認し、自分の背後で、先輩であると同時に部下にも当たる加梧崎潮(かごさき・うしお)や張香梅(チャン・シャンメイ)らが同じように立ち上がるのを感じつつ、千葉は前方を睨み据える。
「……生存者がいるんだ、まだ。やっぱり、母娘だと思う」
「ふむ」
「絶対に、助ける」
ちらりと見えただけだが、オープンカフェに連なるカフェの店内、大男が突っ込んで来た時に蹴散らされ引っ繰り返ったテーブルの影に、抱き合って震えるふたりの女性の姿があったのだ。
年齢は倍ほど離れているように見えたが、顔立ちがよく似ていたから、間違いなく血のつながった人々だろう。
あの人喰いが母親と娘とを標的に『食事』をしているのなら、見つかれば、彼女らも危ない。
「あんたにばっか頼っちゃ駄目だって、本当は判ってる。だけど、頼む、力を貸してくれ。俺は、あの人たちを助けたい」
千葉の真摯な言葉に、霧闇はしばし沈黙し、ややあって小さく頷いた。
「いいだろう」
「霧闇」
「お前の意地、見せてみろ」
千葉が大きく頷くと、霧闇はかすかに肩をすくめ、日本刀を手にしたまま、大男に向かって歩き出した。
そこまでの距離は、およそ十メートル。
護能省の登録能力者たちは、息を呑んでそれを見守る。
霧闇が大男の傍に辿り着くまで、ほんのわずかな時間しかかからなかった。
「そろそろ、食事は済みそうか」
何でもない風情で霧闇が声をかけると、大男は顔を上げた。
血と肉片がこびりついた口元が、鬼気迫ると言って過言ではない雰囲気を醸し出している。
「食事が済んだなら、少し、話があるんだが」
『まだ喰い足りねぇな。だが……話くらいなら、聞いてやってもいい。おれは今、美味いものを喰って機嫌がいいからな』
「……そうか」
霧闇の視線が、大男の足下を行き来する。
そこには、血と、肉と骨の欠片と、女性たちが身につけていたのであろう衣服や、装飾品のかけらで彩られた無残な光景が広がっている。
『で、話ってのは、なんだ?』
「いや……単純な、興味なんだが」
『ああ、なんだ?』
「何故、わざわざ、母親と娘のふたり連れを狙って喰うのかと」
霧闇が言うと、大男は、
『なんだ、そんなことか』
と、妙に上機嫌で笑った。
胸が悪くなるようないやらしい笑顔だったが、無口というよりは喋ることを面倒臭がる霧闇が、実力行使に出ずに会話を続ける理由を考えていた千葉は、それが猶予なのだと気づいて表情を引き締めた。
そして、第七支部第一部隊隊員たちと目配せを交わし、そろそろと動き始める。
――絶対に助ける。
それだけの一念で、傷ついた身体に鞭打って、彼らは動く。
その間にも、会話は進んでいた。
『母親なんてもんは、死んでしまえばいい。そう思うからさ』
妖魔の言葉に、霧闇が小さく眉を動かした。
「ふん?」
『娘って連中も気に食わねぇ』
「……」
『おれがこんな姿になったのだって、クソババアの所為だ。あいつがおれをこんな風にしたんだ』
その後、妖魔は、自分が身勝手で無責任な母親に捨てられた経緯と、そこから自分が舐めた辛酸、父親の激しい虐待を受けたことと、それに耐え切れず実父を殺害してしまったこと、その結果運命が大きくゆがんでしまったこと、自分が味わって来た苦痛や哀しみ、孤独や絶望についてを、身振り手振りを交えながら延々と語った。
『絶望しすぎて、おれはこんなものになっちまった。怒りに任せてクソババアを喰ってやろうと思ったが居場所が判らねぇ。だから、クソババアと、あいつが連れてったクソ妹の変わりに、こいつらを喰って鬱憤を晴らすことにしたんだ。実際、美味いしなぁ』
「……なるほど」
『おれを止めるなよ、別嬪さん。あんたは綺麗だけど、美味くはなさそうだから、喰いてぇとは思わねぇんだ。でも、邪魔をするんなら、あいつらみてぇに粉々にしてや――……』
してやる、と、言いたかったのだろう、彼は。
だが、大男の視線の先に、先ほどまでダウンしていた隊員たちの姿はない。
『な、』
当然だ、
「確保したよ、霧闇っ」
彼らは、カフェの奥で逃げるに逃げられずにいた女性ふたりを救出すべく、大男が霧闇との会話に――『母親』への恨みつらみを語ることに夢中になっている間に、大男の隙を伺いながら、建物の中へ潜入していたのだから。
感付かれれば親子のみならず隊員たちまで命の危機に陥るところだったが、霧闇が大男の気をそらしてくれたおかげで、無事に女性ふたりを建物から救出し、妖魔から引き離すことに成功した。
『てめぇら……そんなに挽肉にされてぇのか……!』
獲物がまだ残っていたこと、それを横取りされたことに気づいて、大男が巨大な顔をどす黒い怒りに染める。
彼の周囲から、黒いオーラが巻き起こり、周囲が激しく揺れた。
彼が、怒りの赴くままに力を揮えば、いかに彼が最下級の妖魔であるとしても、この周囲などものの数分で瓦礫の山になるだろう、妖魔とはそういう存在なのだから。
だが、千葉に、それへの心配、恐れはない。
「大丈夫、もう大丈夫だから。遅くなって、ごめんな」
彼はただ、恐怖のあまり言葉をなくしている母と娘を、最後まで守りきればいいのだ。
彼らの目の前には、今、世界最強の守人がいるのだから。
「――……不幸なのは、誰かな」
つぶやきは小さかったが、圧倒的な美しさでもって周囲に響き、大男の動きを止めさせた。
『なんだと……?』
大男の凶眼が、射殺すかのような強さで霧闇を睨む。
霧闇の表情に変化はない。
いつものように、淡々と冷ややかなだけだ。
「母に捨てられようが、父に虐げられようが、家族に恵まれなかろうが、まっすぐに伸びてゆく人間なら、少なくはないだろう」
しゃり、と、霧闇の両の手首で、幻想的な極光を放つブレスレットが音を立てる。
「お前の何が憐れか?」
霧闇が、大男を見る。
激情などそこには欠片も含まれてはいなかったのに、大男は明らかに怯んだ。
世界最強を誇る夢人の、無意識の威圧感に気圧されたのだ。
『何が、』
「お前自身が、己に価値を見出せなかったことだろう」
静かな言葉と同時に、刀の切っ先がゆっくりと上がってゆく。
『て、てめぇに……』
「言われるまでもなく、判らん」
言葉を先取りされて大男が気色ばむ。
同時に憎しみが募ってか、大男の周囲でどろどろとした暗黒色のオーラが渦巻いた。みしみしと全身が軋んで身体が更に膨張し、巨漢という言葉では括れないサイズになってゆく。
『おれを怒らせるとどうなるか、思い知らせてやる。てめぇも、挽肉にして、喰ってやるからな』
轟々と吼える様は、まるで雷のよう。
自動車でも一撃で紙のように伸ばしてしまいそうな巨大な手が、霧闇目がけて振り下ろされる。
しかし、霧闇の眼差しは静かだった。
「我が生は虚ろ」
わずかに漏れ出た言葉には、欠片ほどの感情もこもってはいない。
「私は人造の戦闘種。ヒトの痛み、苦しみなど、遠い」
ちゃき、という音とともに、手の中でくるりと刀が踊った。
「だが」
踏み込みは、一瞬だった。
揮われた刀の、あまりの速さに、千葉は何が起きたのかも判らなかった。
千葉に判らなければ、恐らく、他の隊員の誰にも判らなかっただろう。
ただ、
ざ、ぎょっ。
鈍い音がして、
『ぐ、が……っ!?』
霧闇を叩き潰すはずだった大男の手が、二の腕半ばから切断され、宙を舞ったことだけが、事実として認識できた。
ずしり、という重々しい音を立てて、道路にひびを入れながら、巨大な腕が地面に転がる。
『が、がああああああ……っ!』
腕を落とされ、血を迸らせながら吼える大男に、
「ヒトの営みは我が存在の意味。それを破壊するものは、私の敵だ」
冷ややか過ぎる声が落とされる。
『て、てめ、え、は……!?』
怒りと痛みにどす黒く禍々しく染まった顔で、霧闇を殴りつけようとした残りの手も、
「好きに、恨め」
淡々とした言葉と同時に、あっさりと斬り飛ばされてしまった。
大男の、苦痛の咆哮が、小洒落た雰囲気の町並みを震わせ、千葉は思わず顔をしかめる。
『ぐ、が、が……』
大男がよろめきながら立ち上がった。
両方の腕の切断面からどす黒い体液をこぼしながら、憎悪の表情で霧闇を見据える。
『ちくしょ、う、死、ね……』
「それは、お前だ」
霧闇を押し潰そうとしたのだろう、決して大柄でもたくましくもない夢人に、身体全体でぶつかろうとした妖魔の、その巨体は、
『え、あ、が……』
一体、いかなる一撃だったのか、目にも留まらぬ霧闇の一閃によって、脳天から股間にかけてを断ち割られ、大きな振動とともに、ごろりと地面に転がることとなった。
あまりの出来事に、母娘が、恐怖するのも忘れて目を丸くしているのが見える。
千葉は、警戒は解かぬままに、倒れた巨体を見遣った。
――大男は、まだ生きていた。
妖魔になった時点でヒトとしての生は終わるのだから、それを生きていると言ってよいものかは難しいところだが、すくなくとも活動を停止してはいなかった。
『ちく、しょう、ちくしょう……』
彼は、半分だけの姿で、呻きながら、何かを罵っていた。
『捨てるくらいなら、なんで、生んだ』
耳を澄まさずとも、それが、母親への怨み言であることは判った。
否、それは、怨み言に託した母恋の言葉だったかもしれない。
届かぬものへの憧憬と、哀しみとを含んだそれは、
『なんで、なんで、なんで』
物哀しく、彼の犯した罪を思ってもなお、憐れだった。
大男の、半分だけになった顔の、ひとつだけになった目から、涙が零れ落ちた。
『なくなっちまえばいい、こんな世界なんか、何もかも』
慟哭は悲痛で、切実だった。
家族にはただ愛されてきたという記憶しかない千葉には、理解することは出来ても実感はできない感情だ。
大男はなおも慟哭し、何もかもを呪う言葉を吐きながら、手首から先のない腕で、宙を掻き毟っていたが、やがて力尽きたのか、唐突に動きの止まった腕が、ゆっくりと地面へ落ちてゆき、最後には、何ごともなかったかのように、妖魔など初めから存在しなかったのだとでも言うように、すべての動きを停止した。
それを見遣って、霧闇が、刀身から妖魔の体液を払い、刀を鞘に戻す。
「……」
煙水晶の眼差しは、ひどく淡々としていたが、
「霧闇、」
「ん」
「その……ありがとう」
「ああ」
「それで、その」
「……?」
「大丈夫、か?」
「……」
千葉が問うと、黒衣の死と称され恐れられる夢人は、何も応えずに踵を返した。
千葉の傍では、命を救われた母子が、他の能力者たちに、涙ながらに礼を言っている。
霧闇はそれを一瞥し、
「……後片付けは、任せる」
それだけ言って、あとはもう振り返ることなく、その場から歩き去った。
「……」
親を持たず、属性を持たず、性を持たず、ただ世界のために死ぬことだけが存在意義という、唯一絶対の人造の守り手、それが“滅神”だ。
他のいかなる夢人とも違う、己自身にはなんの意味もないと静かに断じていた姿を思い出し、何故生んだ、という問いを、誰よりも造り主に向かって発したいのは霧闇だろう、と、千葉は思いもする。
それでも、かの夢人ともにこのまちの平和を守れることは、たとえ霧闇が望んでいなかったとしても、千葉にとっては幸せで、稀有なのだ。
それを人間のエゴだと知って、かける言葉を持たぬ千葉は、矜持と愛を持って世界のために己を削りながら、決して世界とは交われぬ孤独な夢人の、その背中を、なすすべもなく見送るしかないのだった。
母と娘が無事を喜び合っている姿を目の端に捉え、事後処理班に連絡を入れつつ、千葉は、今は亡き己が母親に思いを馳せていた。
「……墓参り、行こ」
呟き、運命とか必然という名の歯車が歪んでしまったために、すべての道を踏み外してしまった、憐れな男の骸を見つめる。
――生まれてきてよかったと思うのだ。
生んでもらってよかったと、生きることを素晴らしいと。
そう思って日々を暮らす人々は少なくないはずで、だからこそ千葉は戦うのだ。
その決意を再確認すべく、世界のために身を削って悔いず、最後まで誇り高く優しかった母の前に行こう、と。
すべての母がそうであれば、今日の悲劇は防げただろうかと、そんな益体もないことを思えば、少し切なくなるけれど。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
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1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
偏屈ですが人間は好きです。おだてられたり褒められたりするとテンションと作業速度がアップします。よければ声をかけてやってください。